正月を過ぎるころから旦那の帰りが遅くなり、徹夜の泊まり込みも多くなりました。3月頃になってようやく一段落したらしいのですが、今度は現地に行かされかもしれないと言い出しました。プログラマーの一人が、体調を崩して退社してしまい、その分が旦那に回ってきたということでした。結局土壇場になって、旦那が九州の小倉に出張に行くことになりました。3日という予定だったが、帰れなくなったと電話がありました。いつ帰れるのかと聞いてみると、いつ帰れるか分からないということでした。下請けに出したプログラムが動かなくて、修正はいつできあがるか分からないといいだしました。動いたときに帰れるが、動くまでは帰れないとたよりない口調で言い訳がつづきました。まったくなんて会社だと思ったが、旦那もとても身体がつらそうな口調でした。私はともかく早く帰ってねと愛想良く返事をしました。数日たって、夕食の支度に買い物に行こうとすると、旦那の会社から電話がありました。旦那が仕事場から帰る途中に事故にあって入院しているとの連絡でした。「命に別状はない」と聞いて私はホットしましたが、すぐに現地に行くことにしました。簡単に荷物をまとめると銀行で当面必要なお金をおろして新幹線に乗りました。新幹線に乗っている間も旦那のことが心配で、ほとんど食事もできませんでした。駅からタクシーに乗って救急病院まで駆けつけると、旦那はまだ集中治療室で寝ていました。昼休みに自転車を借りて、お弁当を買いに行ったとき、車とぶつかったと旦那の同僚の洋平さんが話してくれました。足の骨を折ったので、当分は動けないらしいと分かって私はいったいどうしようかと目が回りそうな気分でした。旦那は、痛み止めの麻酔のため寝たままで話しもできませんでした。私は担当医の説明を聞いた後、しばらく旦那の側にいましたが、私にはすることがありませんでした。いつまでも病院には居られないので、私はどこかに泊まることにしました。私はどこに部屋をとったらいいのか分からなくて、電話帳でホテルを探し始めました。「旦那がホテルにとってある部屋に泊まればいいよ」と側で見ていた洋平さんに言われて、私は洋平さんとタクシーを呼んでホテルに行くことにしました。病院の待合室の公衆電話には、タクシー会社の番号が大きく張り出してありました。洋平さんがタクシーを呼ぶと、しばらく待ってタクシーのクラクションの音が病院の外で聞こえました。私は洋平さんと一緒にタクシーに乗り込みました。タクシーがしばらく走るとホテルに着きました。ホテルの建物はまだ新しくて、普通のビジネスホテルでした。ホテルのレストランで洋平さんと一緒に食事をすると、気分が落ち着くからと言われてワインを勧められました。私は断っても悪いと思ってワインを飲みました。食事のあと部屋に戻ろうとして立ち上がろうとしましたが、足下がふらついてしっかりとは立てませんでした。洋平さんに身体を支えられて部屋まで戻ると、ドアの前でいきなり洋平さんが私の身体を抱きしめてきました。私は頭が半分ぼんやりとして自分がなにをしているのか分からなくなりました。洋平さんは私を抱きしめたまま部屋に入ると、私をベッドに押し倒しました。私の身体を襲う欲望は、嵐のような激しさでした。浜辺におしよせる波のように、欲望は繰り返し私の体に押し寄せては退いていきました。逃げることの出来ない、快楽の時が始まったことを、私は思い知らされました。信じられない感触が私の体中に広がると、許しを請うことさえできなくなりました。私に許されたのは、望みを捨てて従属する快感に身をゆだねることだけでした。天国に放り上げられた私の体は、最後の瞬間を求めて宙を舞い続けました。洋平さんは私の身体を征服すると、最後の望みを打ち砕きました。