mako1988

私たちのエッチな体験談

私のエッチな体験・皆のエッチな体験、ネットで拾ったエッチな体験の話をいっぱい掲載

2012年11月

27 11月

毎日…触られ…

今年高校に入学し毎日電車通学してる高校1年です。
男の人に聞きたいんですがそんなに痴漢したいですか?
いきなり入れますか?
私は通学初日にいきなり痴漢され1時間ちょっと触られ続けました。
指を中に入れられビックリして「痛っ」と微かに言うと中には入れてこなくなりました。
エッチの経験はないけど人並みにオナニーくらいはします。
触られれば自然に濡れるし感じます。
でもそれは当たり前の生理現象で嬉しいわけじゃありません。
初日でいきなりされ私はショックでした。
何が「おっぱい大きいね」「感じやすいんだね」だバカヤロー。
車両の少ない電車で場所を変えても効果テキメンとはいきませんでした。
入学から1週間位はされおっぱい揉まれ時には私の手を男の人のチンチンに無理矢理触らせたりチャックの中に入れさせられたり手はヌルヌルになるしスカートは固まったようにカピカピになるし…そしてあの悪夢に…
その日も乗った瞬間に男の人が後ろに回り込んでくるのがわかりました。私は何とか壁際のドアに逃げ込みましたがついてこられてました。
やはりその日も最初から触られお尻の穴に指入れたり手を前に回しオマンコを触られいじられました。でもその日は何か違くてお尻にはわざとチンチンを押し当ててる感じがありました。
電車が出発して20分位でしょうか目をつぶりながら私は抵抗しながら手を後ろにやると生温かいのに当たりました。
そうチンチンを出していて私はビックリして手を前に戻すと腰に冷たい鉄のようなのがふれました。
私が周りにを見ると角っこなので近くの人は音楽聴いたり携帯いじってたりと誰からでも死角になってて気づいてもらえませんでした。
その時私の耳元で声が…「動かないで可愛いお尻に傷がついちゃうよ」と40代位のおじさんの声。私は怖くなり震えてるとチョキンと言うような感覚が両腰に。
下着がはだけるのがわかりました。
私は落とすわけにはと股を強くしめましたが男の人に足元に足を入れられしめられず下着が落ちてしまいました。
私は恥ずかしさと悔しさと色々なものが混ざり涙がでました。
そのまま生で触られいじられ濡れました。
ふと手が離れ終わったと思い安心するとまた声が「ハァハァ…ずいぶん濡れてるね…パンティ取らなくていいの?」
私は好きで濡れてるわけじゃないと思いながらも置いとけない下着を取ろうと壁際の狭い所に頭を入れて手を伸ばしまして下着を取った瞬間に激痛が体を走りました。
私は驚いて大きかったか小さかったかわかりませんが声を出しました。
「痛いっ」と私は腰を引きましたがそのまま壁際に当てられ余計に動けなくなりそれよりも痛みで動けませんでした。
思いました…これがエッチなんだと…
痛いとは聞いてたけどここまでとは…さらにこんなおじさんにと絶望しました。
構わずおじさんは動かし続け実際には短かったんだろうけどその時間は長く感じました。
下半身はどんどん熱くなり下を見ると足をつたって血が…おじさんは構わずおっぱい鷲掴みにしたり奥まで深く入れたり…そうしてる内に動きが止まり下半身がかなり熱くなりました。
その時私は痛みで熱いと勘違いしてました。
抜かれていく感じがして私はグッタリし同時に終わったんだと少し安心しました。
おじさんはまた耳元で言いました。
「血たくさん出てるよ。処女だったんだね。朝から抜けて気持ちよかったよ。」
と手に握っていた私の下着をとりました。
ふざけるなと思いながらも言えない私を最後まで触り続け最終駅に到着。私は痛みでまだ動けずしばらく硬直。
動けるようになると血が垂れた足を少しでも隠しながら早足でトイレへ。
スカートをめくると目を背けたくなるような光景…
太ももからお尻側まで血だらけで足まで垂れさらにはドロドロしたような物が下から垂れてきて拭き取ってもどんどん出てきた。
私は泣きに泣いて学校を休んだ。
それからはまた電車に乗り帰り、下着を買い夕方まで覚えてないけどフラフラしながら時間を潰し家に帰りました。
次の日から30分から1時間に1本しかない電車ですが時間を早めて登校。電車はガラガラで痴漢なんてされる心配もありません。
不安と言えば数日前に告白された先輩と付き合い初エッチしました。
私は初体験が痴漢と認めたくないからか処女と言い好きな人に抱きしめられながらしました。
痛さはあり血も少しでました。
後ろめたいけど先輩は嬉しい大事にするねと言ってくれました。
先輩は妊娠させるわけにはいかないからとゴムをつけましたがあの痴漢は…と青ざめました。
もしかしたらと言うかトイレで確認したドロドロのやふはゴムにたまったのと同じでほぼ100%中に出されてしまってるということ。
妊娠してるかもしれないと言う恐怖まで植え付けた痴漢を私は絶対に許せません。
好き好んでされようとする女性も理解不能です。

26 11月

妻が他人棒に夢中になるまで(完結)

みなさんコメントありがとうごさいます。
楽しみにしていただいた方がこんなにいたとは驚きました。
ですが、すでに妻と所長の関係が終わっている事も公開してしまったし、横槍が入った時点で投稿を辞めようと決めていたので、今後物語として再開するつもりはありません。
気にかけていただいた方もおられるようなので、大まかな流れと、妻と私の心情だけ書き残して終わりたいと思います。
妻の心情に関しては[甘い拷問]で確認していますので嘘はないと思います。
まず一回目と二回目のセックスは妻は本当に夢中になり、激しく感じたそうです。
これから書く予定だった二回目のセックスは、欲情を抑えきれなかった妻はホテルに向かうタクシーの中で指でイカされてしまったそうです。
ホテルに着き所長はバイアグラを服用し、ホテルにいる間は数時間の睡眠以外はほとんど挿入されていたようです。
翌日の昼前に妻からホテルを出たとの連絡を受け私が駅まで迎えに行った時の妻の様子は目は潤み、口呼吸のため半開きの口、紅潮した顔で、立っているのが辛そうに壁にもたれかかっていました。
私が車を降り妻を迎えに行くと妻は膝に力が入らず私の腕にすがりつき、ごめんなさいを繰り返しました。
妻を車に乗せ、私は怒ってないことを何度も伝えました。
車を走らせ二人がセックスしたホテルに向かうと、同じ部屋が空いていたので入りました。
部屋に入った時に妻の匂いがした気がします。
私はたまらなく興奮していたのですが、妻の不安を消すため冷静を装いました。
服がシワになってしまうので脱がせ、下着姿にしてベッドで抱きしめました。
夜中まで抱かれ、失神したまま眠りにつき、目が覚めてからもう一度抱かれたそうです。
その後シャワーを浴び帰る支度をしてタクシーを呼んだのですが、朝の時間だったためタクシーが来るまで時間がかかるとフロントに言われ、タクシー到着の連絡があるまでストッキングとショーツだけ脱がされ挿入されていたそうです。
そのため私が迎えに行った時はまだセックスの途中のような感覚だったそうです。
二回目のセックスでは最初はコンドームを使ったそうですが、長時間ピストンされ秘部がヒリヒリしそうだったので二回目以降は膣外射精を条件に生挿入を許してしまったそうです。
もちろん部屋を出る直前も。
リアルな空間で私は妻の報告を聞きながら、途中で妻に何度も挿入を求められましたが報告が終わるまでは我慢してもらい、私は妻の手で何度も射精しました。
その後私は妻とセックスをしましたが、所長に高められた性感のため妻は何度も絶頂に達しました。
妻はホテルを出た後も何度もごめんなさいを繰り返しました。
この時私は妻の心を奪われてしまうのではないかと不安を覚えました。
ちなみに本編ではこの時点でピル服用を望んだと書きましたが、実際に妻がピル服用を望んだのはもっと後の話です。

その後ですが、所長との関係が終わってからの妻の報告だと二回目のセックスの二週間後ぐらいに一度だけ妻は私を裏切ったそうです。
私に内緒で昼間所長に抱かれたそうです。
この出来事が結果的に私達夫婦を救ってくれました。
事前に私の同意を得ず、隠し通すつもりで所長に抱かれた妻は、絶頂に達する事なく帰宅したそうです。
その時に、嫉妬と興奮に悶えながら待つ私がいて、帰ってから嫉妬に狂った私にお仕置きされるドキドキ感がないと自分は感じないんだと気付いたそうです。
それからの妻は私を嫉妬させ楽しみ、自分がお仕置きされるのを楽しむために、私に隠すことなく所長に抱かれようと決めたようです。
悪く言えば所長とのセックスは私とのセックスを楽しむためのスパイスです。
そう考えるようになってから再び所長とのセックスでも快楽を得られるようになったそうです。
私はつい最近それを知って驚きました。
妻が所長に抱かれるのは所長のペニスにに夢中になっているからだと思っていたのですから。
妻が何度も繰り返し言った「絶対にパパからは離れないから心配しないでね。」という言葉は、所長とのセックスそのものに感じてるわけではないという意味だったのです。
私がいないと気持ちよくならないと気付いたからなのか、春頃から妻と私は新婚時代のようになりました。
本編に書いた私の好みの服装や髪型に変えたのは実はこの頃です。
四月に迎えた妻の誕生日にヘルメットをねだられ、私が平日休みを取り妻を乗せてバイクで日帰りツーリングにでかけたりもしました。

その後妻は子供達を置いていくのは可哀想だと二輪免許を取り、どこに隠していたのかヘソクリで自分用のバイクを買い、子供達を乗せて二台でツーリングに出かけるようになりました。
おかげで妻を私の後ろに乗せて抱きつかれる機会は減ってしまいました(苦笑)
9月の私の誕生日にはデートもしました。
妻が暴走し、危険な時期なのに中出ししてしまい、妻がピル服用を望んだのはこの時です。
妻が初めて紐パンを穿いて、紐パンの紐をプレゼントのリボンに見立ててほどいたのもこの時です。
本編ではミニスカートにガーターベルトと書きましたが、実際はワインレッドのスリーインワンに同色の紐パン、スリーインワンのサスペンダーに網ストッキングを吊り、赤のサテンのブラウスと、フロントファスナーの黒のロングタイトスカート姿で、ファスナーを膝上まで上げ、座ると深いスリットからストッキングの上の太ももが見えてとてもセクシーでした。
所長には月に一度ぐらい抱かれに行き、私の寝取られ願望を満たしてくれて、妻のお仕置きされたい願望も満たしました。
それでも泊まりになることはなく、夕方から出掛けて夜中の12時前後には帰宅しました。
私の誕生日のあとの生理に合わせピル服用を始めましたが、所長とは二回目のセックスの時を最後にピル服用するようになってからもコンドーム使用のセックスをしていたそうです。
私のためだけにピル服用を始めたそうです。
でもこれにはドキドキさせられました。
所長に抱かれに行く前はいつも「今日はゴム無しで入れてもらって中でイッてもらうの。ドロドロのまま帰ってくるから楽しみにしててね。」と言うんですから。
帰ってきて調べるといつもゴム臭がし、精液のかけらもないのですが(笑)
最初だけゴム臭を付けるためにコンドームを使用して生挿入し、中出しされて洗い流したのではと疑惑は持ちましたが、そうではない事を例の[甘い拷問]で確認してあります。

そして所長との関係の終結です。
昨年の最後のデートの時に、1月8日に姫初めの約束をしたそうです。
妻は所長に抱かれる前に私に抱かれたいと挑発しましたが、私は拒み続けて所長が今年の最初の男になるよう仕向けました。
約束の日になり妻はとても不満そうに夕方出掛けていきました。
そして夜九時頃帰宅しました。
妻によると所長が私をバカにする様なことを言ったそうです。
所長と姫初めするよう仕向けられただでさえ不機嫌だったところに、勝ち誇った顔で私をバカにしたのが許せなくてホテルに入る前に別れを告げ帰宅したそうです。
帰った妻にしっかり犯されました(笑)
現在は約一年の所長とのセックスを多少(?)脚色し、嫉妬させてくれています。
「パパごめんね…本当は二回目のお泊まりの時に中に出されちゃってたの…所長の大きいおちんちんに夢中だったんだもん…あっダメ…縄なんかで縛らないで…」
これで大まかな流れと私達の心情の報告を終わります。
やはりうまくまとめられません(苦笑)
もしもまた妻に男ができたら今度はリアルタイムに書き込みに来ます。
みなさんお付き合いありがとうございました。
25 11月

私の婚家はど田舎。母屋ではヤギや軍鶏を飼ってるし、庭に鴨のいる池もある。

前スレの田舎の子ども放牧話に似てるんだけど、正月に知った出来事。
ちょっと残酷なシーンがあるから、いやな人は読み飛ばしてください。
私の婚家はど田舎。母屋ではヤギや軍鶏を飼ってるし、庭に鴨のいる池もある。
敷地内別宅住みで、生き物が苦手な私は、その辺には近づかないんだが。
一番驚いたのは、夏の子ども会のラジオ体操を家の庭でやること。
庭と言っても塀がある訳じゃなく、裏山や道と続いてる感じなんだけど
それでも庭でラジオ体操???ってビックリだった。
旦那いわく、物心ついた時には庭でやってた、そうだ。
体操終わった子どもたちの中に、一人なかなか帰らない5歳くらいの子がいたそうだ。
(幼稚園には通ってない)
その子の母親は、祖父母が住んでた家に越してきたんだけど
もともと都会育ちで、長期休みにたまに遊びにくる位の人だったらしい。
遊びに来た時は、近所のちょっと年上の子達と山を走り回ってたそうで、
その感覚で子どもを放牧するんだけど、田舎は子どもが少なくなってて
そんな子どもたちは存在しなくなってる。
そこで子どもはつまらなくて、家の庭で遊ぶ。
(旦那と兄弟のために作った小公園みたいなエリアもあるから)。
ラジオ体操のときは、子どもが集まるから、余計家に執着する感じだったらしい。

何度か親に注意したけど、やはり親が気にもとめない感じで、
義両親もお手上げだったとか。
ある日その子が、軍鶏のいるエリアに勝手に侵入した。
軍鶏って、ものすごく気性が荒いらしく、オスに飛び掛られて
気づいた舅が割って入ったものの、結構な傷を負ったらしい。
今までは、怪我したら危ない、って注意しても「大丈夫」って言ってた親が
両親そろって怒鳴り込んできたそうだ。
「そんな危険な動物を飼ってるなんて、すぐ保健所で殺処分にしろ」と。
途中から話しを聞きつけた大舅が(耳が悪い)、「なんだ、軍鶏を締めるのか?」と
その場で、いきなり軍鶏を解体Orz。
「羽もむしって血抜きもしてやるから持ってけ」とばらし始めた。
母親半狂乱、父親ももどすわ、でカオスになったらしい。
だけど姑だちの時代には、ごく普通の光景だったらしく
放置親たちが何叫んでも、近所の人たちは「それがなに?」って感じだし
そもそも殺せ、っていうのはそういう事だ、と逆に説教されて
こんな所に住んでられない!と引っ越したらしい。
たまたま私は里帰りしてた時期だったんだが
姑さんが、ただでさえ動物の苦手な私に知られたら
実家に帰られちゃうかも、って緘口令を敷いてたらしく
酔っ払った大舅が正月に口滑らすまで、全然知らなかったよ。
そういえば、放置子見なくなったな、幼稚園行ったのかな、とは思ってたけど。

まあそうだよな。軍鶏だって趣味で飼ってるわけじゃないもんな、と
なんとなく宴会の鍋を眺める私に、姑さんが
「大丈夫よ、家の軍鶏は出荷用だし、普通は家族では食べないから」と言ってた。
ヤギも出荷用だと思うけど、確認はしてない。
見えないところでは、そういう処理があることを
都会育ちの人間は意識してないからな、って話でした。
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