これは7、8年前、仕事の関係でタイに出かけた時の事です。
会社の同僚3人と出張したのですが、夜は当然のごとく現地のガイドの接待で売春宿に連れて
いかれました。
TVでご覧になったことのある方も多いと思いますが、胸に番号札をつけた女の子が店に並んでいて、指名するという奴です。
風俗には日本でしょっちゅう通っていた私にとっても、日本の中学生や高校生ぐらいの年齢の女の子達を前にすると、明らかに犯罪という感じがしてあまり乗り気にはなれず、なかなか指名する気にはなれませんでした。
すると、私達の浮かない表情を見ていた現地人のガイドが店の責任者を呼んで、何事か話し始め、しばらくすると
「別の場所に行くから車に乗ってください」
と言われ、車で移動を始めました。
「どこかのクラブかソープにでも行くのかな」
と思っていると、車がどんどん人里離れた山奥へ入っていきます。
さすがに不安になりましたが、ガイドに聞いても
「大丈夫、大丈夫」
と笑うだけです。
やがて車がとまり、村のような集落に着きました。
ガイドに連れられ、その村の中にあったぼろ家に入ると、おばばがいました。
ガイドが何事かおばばに話し、我々をそれぞれ別のぼろ家に案内しました。
ガイドは私に
「○○さんのために特別いい娘、紹介します。サービス悪かったら言ってくださいね。後であの怖いおばさんに言っておきますから」
と言い、部屋を出て行きました。
人里離れたタイの山奥に夜放置されるのはさすがに怖い。
「もし、ムエタイの選手みたいな男やマフィアが入って来た殺されたらどうしよう」
などと余計なことを考えてしまいます。やがてドアがノックされ、私が恐る恐るドアを開けると、そこに立っていたのは、おばばに連れられたどうみても小学生の女の子でした。
後でガイドに聞いた話では、8歳だったそうです。
サービスしないと後でおばばに折檻されるようで、私に抱きついてくるのですが、さすがに8歳の子は相手にできません。
お金を渡してなにもしませんでした。
言葉も通じないので、話はできませんが、8歳で山奥の売春宿で見知らぬ異国人の相手をさせられているタイの子を見てると人生の無常を感じました。
他の二人の部屋に来た子も10歳だったようで、同じく何もできなかったそうです。
村には同様の女の子が何十人もいるとのことでした。
13歳になると、村を出て、我々が最初に案内されたような売春宿に移るそうです。
スレ違いでしょうが、ある意味修羅場でした。
私は結婚して3年になる36歳です。主人は去年リストラされたこともあって今は義父が一人で暮らす主人の実家で暮らすことになりました。父は62歳で農業をしていて主人よりも体格が良く、お風呂上がりの姿などで、まだまだ男を感じさせるところもありました。主人はリストラ後に市内の工場に職が決まり月の半分は夜勤で夜は父と私での夕食で毎日決まってお晩酌をしていました。最初は私に気を使っていた父でしたが数ヵ月たつと父も大胆になり、特に主人が夜勤のときには夕食前にお風呂から上がると腰にバスタオルを巻いただけの姿でいて、そのままお晩酌し一緒に夕飯をすることもよくありました。去年まだ残暑で夜も暑かったころ主人が夜勤でいつものようにお晩酌していると父は私にビールをすすめ、あまり飲めない私も断れず一杯だけと言って飲むとまた注がれて横に座らされていました。そのうち私は顔が熱くなり、父に話すとビールくらい大丈夫だよと言って頬に手をあてました、頬とは言えど結婚してから主人以外に触れられたことがなかった私は何故かドキドキしてしまって父は次に私の頭を撫で下ろして肩に手を掛けました。驚いてどうすればいいのかと思って下を向いていると父は私を自分に寄せて私に見せるかのように腰に巻いたバスタオルの裾を上げていました。美香さん俺のどうだい?まだまだ若いだろ?と言いながら私の手を取り触れさせ、私は心臓が爆発しそうになりながらも次第に感じている自分にどうすることもできなくなっていると、私の下着の横から指を入れられて、美香さんここじゃあれだから俺の部屋へ行こうと言いながら私を抱え部屋に入りました。月明かりだけの薄暗い部屋で父の布団に寝かされキスされながら脱がされ父は私の耳元で、美香さんいいだろ?二人でゆっくり遊ぼうと言われるともう下が熱くなって治まりがつかなくなっていました。父は私の胸を吸いそしてしばらく身体中舐めると私の脚を持ち上げ自分の物をゆっくり挿入しながら、美香さん痛くないかい?と言って私がうなずくとそのまま奥まで入れました。私はもう歯止めがきかずに声が出て父は一層興奮して激しく腰を打ち付け主人とは全く違った快感に襲われ何度も逝きました。父は体位を変えて私にお尻を突き出させ今度は後ろから腰を振りながら、美香さん気持ちいいかい?もっともっと俺が気持ち良くしてやろうなと言ったかと思うと慌てて抜き私のお尻に熱いものを出しました。そして私はそのまま眠っていて朝方気が付くと横になったまま後ろから父に抱かれて挿入され父は腰を動かしながら私に、美香さん今度はラブホテルへ行こう俺が前に女と良く行ってたところがあるからそこでゆっくり遊ぼう、もっともっと色んな気持ち良いことしてやろうなと言いながら父はまた逝きました。もちろん主人は何も気が付かず父と家やラブホテルで関係を続けています。
幼少アイドルでデビューするのはそう簡単なものではない。 プロデューサーの家に住み込みで日夜、ご奉仕させられ、たつぷり快楽の味を仕込まれ送りだされるのは稀なのだ、大概はぼろ布のように捨てられ、風俗へ売られてゆくのだ。 純真無垢の10歳処女は当然、初潮は迎えていない、悪徳プロデューサーはまず電動淫具から始め幼女の膣穴の拡張に取り掛かるのだ、堅く閉ざしたマンスジは少しずつ、口を空け、10日もすると 小4は善がり汁を滴らせるのだ、板のような胸をした児童をかかえて怒張したチンポをゆつくり差し込む、メリメリと音を立て吸いこまれる、幼女は悲痛な叫び声を上げるがお構いなしに連動し、射精すると処女膜は破れて深紅の涙を流す、あとは奈落の道があるだけだ。 1年が過ぎ、11歳になるともう、少女の身体は男なしではいられぬ体になつていた。 それもそのはずだ、亀頭のまわりに入れられた真珠入りのチンポで昼夜を問わずいたぶられていた。幾度も逝く事を覚えて快楽のみに生きるベビードールに成長していた。 乳房も少し膨らみ始め陰部はすでに成人した女のように淫唇が肥大して交尾の多さを物語つていた。 今では複数の男との交尾も受け入れてハメられながらフエラもこなし、上下の口から白い液体を流す姿は圧巻そのものだ。 朝になればランドセルを背負い小学校にゆく少女のセーラー服の下にはただ、ひたすら男を喜ばせる幼体が巣食つていた。 12歳になると緊縛遊戯を教えられた、椅子に縛られて大股を開き、濃厚クンニの連続だ、 淫核とはみ出た淫唇を吸い尽くされた小6は茫然と口から涎を流し、極上の喜びに身を震わせている。 そして余りの快感に隠語を吐いた 「 オマンコがオマンコが溶けちやうよう・・・・・」 中学に入つた頃には膣の周辺にタトゥを彫り込まれ、シャブを打たれては客を取らされた、止む事のない快感地獄と数えきれない程の男の子種を注ぎ込まれたマンコは中年女のようにくずみ爛れて異様な形になつていた。 男はもう使い道のない少女を東南アジアに送る事に決めていた。