mako1988

私たちのエッチな体験談

私のエッチな体験・皆のエッチな体験、ネットで拾ったエッチな体験の話をいっぱい掲載

2008年05月

29 5月

結婚式で

はじめまして、めぐみです。今日はちょうど去年の今頃体験したエッチなお話をさせていただきます。あれは、高校時代の友達の結婚式のときです。よくありがちな、結婚式で出会って恋に落ちる系のアレです。私もそのときは既に30代になっていて周りも殆どが結婚していたので、結婚式での出会いなんかほとんど期待してませんでした。ただ、その結婚式にはとても素敵な男性が・・・。私は見ているだけでドキドキしてしまいおそらく顔は少し赤くなってたと思います。結婚式の時にはその方とは何もなかったのですが、結婚式の二次会で私の向かい側に彼がいたので、少しお話をして仲良くなってました。二次会も終わり、三次会に行く人達と帰る人達に別れて私は帰ろうとしていたら、彼が誘ってきてくれて、そのままふたりで三次会・・・。オシャレなバーに連れて行かれて、薄暗い照明の中強めのお酒を飲んでいたら、だんだんエッチな気分になってきてしまい。さり気なく彼にタッチしたり、寄りかかったりしてたら、イチャイチャしてるみたいになり、そのとき早くもジュルっときてしまいました。そのときの話によると、彼も結婚していて今まで浮気は一度もしたことが無いとのこと。誘い方が自然でスマートだった為、その言葉は信用に値しませんが・・・。そのときの私には既にどうでもよくなってきてました・・・。話の中で、セックスの話しになり普段どういうセックスをしてるとか、こういうプレイが好きとか話していたら、私は普段主人とはノーマルなプレイしかしないので『普通ですよ・・・』といった感じだったのですが、彼はどうやら服を全部脱がさないでのセックスが好みみたで、特に冬は女性のブーツを脱がさないでセックスすることが多いと言って私の足元をチラっと見てました。コレはエッチな予感がしたので、思わず私の方からホテルに誘っちゃいました・・・。ホテルに着くと早速シャワーを浴びて着ていたドレスを再び着用。そこからの彼は人が変わったかのようになって私の服を乱し始めました・・・。私も何だか興奮してきてパンツにシミができるほど濡れていて、それを見て彼は執拗にパンツの上からクリを集中攻撃・・・。私の我慢は限界になり入れてとお願いしましたが、彼は中々入れてくれず、乱れた服の上から私を愛撫していました。そして、私が何度かイッたのを確認してからやっとパンツだけを脱がし挿入・・・。私は我慢していたせいか、いつもと違う感覚だったせいか非常に濡れていて、彼のカチカチになったモノを下のお口で何の抵抗もなくジュボっと咥え込んでしまったのです・・・。それから、正常位・バック・立ちバック・正常位で彼がフィニッシュ。最後は私のお腹の上に出してくれました。私はいつもより興奮していたのでイった後のオチンチンを咥えて全部吸い取って綺麗にしてあげました。お互い家で配偶者が待ってるのでセックスが終わった後はそのまま帰りましたが、私は興奮状態だった為主人と第2ラウンドをおねだりしてました・・・。あのときの彼とはそれ以来会ってないのですが、今も女性に服を着せたままセックスを楽しんでるのか、ちょっぴり気になります・・・。また、長文でごめんんなさい。最後まで読んで下さった方ホントにありがとうございます。私は引き続きエッチな思い出に浸りながら独りでアソコをいじりたいと思います。
28 5月

出張

正月を過ぎるころから旦那の帰りが遅くなり、徹夜の泊まり込みも多くなりました。3月頃になってようやく一段落したらしいのですが、今度は現地に行かされかもしれないと言い出しました。プログラマーの一人が、体調を崩して退社してしまい、その分が旦那に回ってきたということでした。結局土壇場になって、旦那が九州の小倉に出張に行くことになりました。3日という予定だったが、帰れなくなったと電話がありました。いつ帰れるのかと聞いてみると、いつ帰れるか分からないということでした。下請けに出したプログラムが動かなくて、修正はいつできあがるか分からないといいだしました。動いたときに帰れるが、動くまでは帰れないとたよりない口調で言い訳がつづきました。まったくなんて会社だと思ったが、旦那もとても身体がつらそうな口調でした。私はともかく早く帰ってねと愛想良く返事をしました。数日たって、夕食の支度に買い物に行こうとすると、旦那の会社から電話がありました。旦那が仕事場から帰る途中に事故にあって入院しているとの連絡でした。「命に別状はない」と聞いて私はホットしましたが、すぐに現地に行くことにしました。簡単に荷物をまとめると銀行で当面必要なお金をおろして新幹線に乗りました。新幹線に乗っている間も旦那のことが心配で、ほとんど食事もできませんでした。駅からタクシーに乗って救急病院まで駆けつけると、旦那はまだ集中治療室で寝ていました。昼休みに自転車を借りて、お弁当を買いに行ったとき、車とぶつかったと旦那の同僚の洋平さんが話してくれました。足の骨を折ったので、当分は動けないらしいと分かって私はいったいどうしようかと目が回りそうな気分でした。旦那は、痛み止めの麻酔のため寝たままで話しもできませんでした。私は担当医の説明を聞いた後、しばらく旦那の側にいましたが、私にはすることがありませんでした。いつまでも病院には居られないので、私はどこかに泊まることにしました。私はどこに部屋をとったらいいのか分からなくて、電話帳でホテルを探し始めました。「旦那がホテルにとってある部屋に泊まればいいよ」と側で見ていた洋平さんに言われて、私は洋平さんとタクシーを呼んでホテルに行くことにしました。病院の待合室の公衆電話には、タクシー会社の番号が大きく張り出してありました。洋平さんがタクシーを呼ぶと、しばらく待ってタクシーのクラクションの音が病院の外で聞こえました。私は洋平さんと一緒にタクシーに乗り込みました。タクシーがしばらく走るとホテルに着きました。ホテルの建物はまだ新しくて、普通のビジネスホテルでした。ホテルのレストランで洋平さんと一緒に食事をすると、気分が落ち着くからと言われてワインを勧められました。私は断っても悪いと思ってワインを飲みました。食事のあと部屋に戻ろうとして立ち上がろうとしましたが、足下がふらついてしっかりとは立てませんでした。洋平さんに身体を支えられて部屋まで戻ると、ドアの前でいきなり洋平さんが私の身体を抱きしめてきました。私は頭が半分ぼんやりとして自分がなにをしているのか分からなくなりました。洋平さんは私を抱きしめたまま部屋に入ると、私をベッドに押し倒しました。私の身体を襲う欲望は、嵐のような激しさでした。浜辺におしよせる波のように、欲望は繰り返し私の体に押し寄せては退いていきました。逃げることの出来ない、快楽の時が始まったことを、私は思い知らされました。信じられない感触が私の体中に広がると、許しを請うことさえできなくなりました。私に許されたのは、望みを捨てて従属する快感に身をゆだねることだけでした。天国に放り上げられた私の体は、最後の瞬間を求めて宙を舞い続けました。洋平さんは私の身体を征服すると、最後の望みを打ち砕きました。
27 5月

成長に関するデータ集め

今から20年位前、昭和50年代の話です。当時の私達が通っていた地区には医大がありある年検診の要望が学校に来ました。検診の目的は成長に関するデータ集めだそうで小学校4年生から中学3年までの6年間同じ生徒の追跡記録をとるという事で県の教育委員会を通じて県内数校の小、中学校に協力の要請があったそうです、あとで知ったのですが医学目的の為と説明し両親の同意書も書かされました。県内各校から数名、毎年3月、三学期の終わりに同じ男子20名女子20名前後だったと思います、大学に集められて検診を受けました。私が選ばれたのはただ単に小学4年の時に学級委員だったからだそうです、私ともう1人男子もやはり学級委員になった中沢君が選ばれました。小学校の時は授業中にも関わらず学校を抜け出せて面白かったという印象と学校の代表だという誇りの様なものさえありました。しかし、中学生にもなるとその検診の内容がたまらなく恥ずかしいものだと理解出来る様になり嫌で嫌でしかたなく、男子の中沢さんにしても同じだったと思います。医大での診断は小学校の時は踏み台昇降や反復横とび肺活量といった運動テストのようなものと体重、身長といった身体測定が行われ午後からの半日ほどで終わりましたが中学になると検査項目が増えほぼ丸一日診断に費やされました。中学になるとまず男女全員教室の様な所に集められアンケートのような物を書かされます男子は精通、女子は初潮があるかとか、陰毛は何時頃から生えてきたかとか、それが終わると男女とも着ている物全て脱いで支給された衣類に着替えます、といっても渡されるのは薄手のベージュ色のガウンと白のショーツのみ、しかもほとんど一日中検査があるのでガウンを着ていられるのは昼食の時だけ、それ以外は男女とも上半身裸に下着一枚で過ごします。着替える時もそうですが検査の時も男女間を遮るのは申し訳程度の布で出来た衝立だけでしかも検査官が自由に行き来できる様に2メートル近く間隔があり何の役にも立っていません。中学2、3年にもなると身体つきはほとんど大人と同じです、それなのにショーツ一枚で踏み台昇降や反復横とびをやらされました、すぐ目の前にいる男性の医大生らしき検査官には私達の胸やお尻が晒されているのです。しかも検査官だけでなく検診の間中ひっきりなしにたくさんの人が見に来ます、中には半裸で運動をする私達の写真を撮って行く者もいました。午前中の運動テストが終わると午後からは身体測定、やはりショーツ一枚で体重、身長、胸囲や聴力、視力まで検査します、その後内科検診を受けますがその最後に全身検査(そんな名前だったと思います)では全員ショーツまで脱がされ全裸で目盛りのついた壁際に立たされ全身を前、後ろ、左右から撮影、その後胸やお尻や下半身、背中といった箇所のアップ写真を撮られました、男子の場合撮影時にアソコが大きくなってしまった人がいて(衝立なんて飾りで2、3メートル向こうには全裸になっている女子の私達が丸見えなのでしかたないのかも知れません、逆に言うと私達からも男子の様子は丸見えでした)戻るまで待っていたので撮影が長引きました。撮影が終わり最後に面接です、5人ずつ1組になって集団で行われます、やはり全裸のまま審査官の前まで歩いて行き気を付けの姿勢のまま質問を受けます。質問をする検査官は5人ほどなのですがその周りにはたくさんの人それも男性ばかりが集まっているのです。質問は予め書かされたアンケートに沿った初潮の時期や生理の周期、症状といった内容、そのあとは私達5人を横に向かせたり後ろ向きにさせたりして去年に比べOOさんの胸は大きくなったとかお尻がどうとか、「OOさんとXXさん横に並んで立ってくれますか?」といって2人を並べ胸とか下半身の発育の違いについて写真を撮ったり批評をしたりします、皆顔から火が出そうなくらい恥ずかしい内容でしかも衝立の向こうの男子にも声と隙間からその様子は筒抜けです。その時集められた生徒は県内各地から集められたらしくその時にしか会う事はありませんでしたが、みな学校の代表として集められたので成績優秀で可愛い子が多かった印象があります。私と一緒に選ばれた中沢君とも中学卒業以来あっていませんが、6年間お互い裸を見られていた筈なのですが私も彼もその事を人に言う事はありませんでした。たぶん今でもその医大の研究資料としてその時の写真や記録は残っているはずです。
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